奈良東大寺に初めて訪れたのは、小学生の時。
親戚が奈良に住んでおり、大阪城から奈良、そして、伊勢神宮と旅したことが初めてである。

それから時が経ち、何度か奈良の東大寺へ訪れることがあった。
その中でも記憶に残っているのは、今から4、5年前に訪れ
夜の東大寺がライトアップされていた時である。

日中とは打って変わり、人もまばらで静かな奈良公園を歩き
東大寺の南大門へ、目の前には金剛力士像が存在感を持ちながら
私を見下ろしている。その存在感に、圧倒されたことを今でも覚えている。

初めて、小学生の時にみたときにも心に残っていたが
さらに印象が強くなったことを感じる。

それから年齢を重ね、埼玉県行田市久伊豆神社に伝わる伝統芸能
長野ささら獅子舞に携わり始めて18年以上が経っている。
その活動の中で私自身が神事に関わるようになり
自分が携わっている舞にどんな由来があるのか
どんな意味があるのかを考えるようになって。

それから自然と各地のお寺に向かったり
博物館での展示を見に行くようになった。

そして、いつの間にか
その金剛力士像を造った運慶の作品、また運慶の弟子たちの作品を見ることは私にとって
社寺仏閣や博物館を巡るときの楽しみのひとつになっていった。

※運慶・・・平安時代末期から、鎌倉時代初期に活動した仏師。(Wikipediaより

運慶や運慶の流れを汲んだ作品は
肉体表現や表情に引き込まれてしまう。

それは仏師が人の肉体をただただ観察するだけでなく
何かその人がいた場所や空気感やさらには
人々の想いを馳せ、手を動かし積み上げてきた圧倒的な経験から
生み出されているように感じる

これらの作品をつくるためにどれだけの時間をかけてきたのだろう。
どんな思い出作っていたのだろう。

そんなことに思いを馳せてみるといつまでもみていることができる。

社寺仏閣には仏像を掘る人、建物を建てる人、僧侶、信徒、檀家など
その街に住む人たちたくさんの人たちが関わり、
その土地を守り、その人たちの想いが刻まれてきた歴史を感じる。

そういった場所を訪れ、肌でその雰囲気を感じることは
人の物語に想いを馳せる時の視野や視座を広げる上で、大切な感覚だと思う。

これは私が大切にしていること

”私が生まれ育ったルーツ、自らの歴史を考えるために
その土地に根差した社寺仏閣を訪れる”

その場所に刻まれた歴史に触れることが
自らの歴史を考えることにもつながると私は考えているからである。

東大寺のように有名なお寺もあるが全国にはまだまだ知らない
神社やお寺が溢れている。

日本には神社で81,074、寺院は76,930もあると言われている。
(平成30年12月31日現在、統計で見る日本:全国社寺教会等宗教団体・教師・信者数より)
この数はコンビニエンスストアの56,574よりも多いのだ。
(平成30年 コンビニエンスストア販売 商品別販売額等及び前年比増減率より)

みなさんの身近にももしかしたら歴史ある建物や仏道、観音様などが眠っているかもしれません。
その場所にはたくさんの歴史が詰まっていると思います。ぜひ足を運んでみてください。

私もこれから移動できるようになってきたら
ぜひ全国の社寺仏閣を訪れてみたいと思います。